FIREは経済学の『合成の誤謬』に当てはまっていると思う
経済学の『合成の誤謬』は、ミクロ(個人)にとって正しい選択や行動が、マクロ(全体)に拡大すると、思わぬ悪影響や意図しない裏目に出る現象を指す概念として説明されます。
『合成の誤謬』を説明する際に代表例としてよく挙げられるのが節約(貯蓄)のパラドックスです。
ミクロ視点では、不景気の時に個人や特定の企業が「支出を切り詰めて貯蓄(手元資金)を増やす」のは、将来のリスクに備える極めて合理的な防衛策です。
マクロ視点では、社会全体の全員が一斉に消費や投資を止めると、売上が激減した企業の業績がさらに悪化し、給与カットやリストラ等が発生し、結果として全体の所得がさらに落ち込み、全員が以前より貧しくなって貯蓄すらできなくなります。
これをFIREに当てはめると、個人レベルでは定年前の年齢から資産形成に成功→労働から離脱は問題ありませんが、たとえば労働人口の半数(大規模レベル)がFIREしましたとなると、労働力の供給減少、企業活動縮小、税収減少、社会保障関連財源の悪化等、大きな問題が発生し、事態が深刻化するでしょう。
この「個人にとって合理的な行動」と「社会全体で多数が同じ行動を取った場合の結果」が一致しないという「合成の誤謬」の構造がFIREにも当てはまっているように感じます。
個人レベル
「多くの人が働いている社会で、自分は資産所得によって労働から解放される」
は成り立ちますが、
社会全体
「全員が資産所得だけで生活し、誰も労働しない」
は成り立ちません。
このように考えると、
「FIREが社会の主流にならず、一定数の人が労働と消費を今までと変わらずに続ける社会」
「FIREは不可能ではないが、多数派にもならない社会」
の方が、変に現在の社会の制度を改正されないためにも既にFIREした人間にとっては都合が良い…残念ながらそれは現実としてはそうなんじゃないかなと思います。
「今、まさに苦しい労働環境でFIREを目指して本業&投資等に奮闘していらっしゃる方はみな救われてほしい」と思う反面、全員がFIREしてしまったら、社会が成り立たなくなってしまうという非情なジレンマ…せめて弊ブログをご覧になられている方々の目標が成就することを願っております。
