失敗を自省せず、その原因を他者や環境にばかり向ける人は成功し難い
「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」
これは有名な江戸時代以来の格言ですね。
私は株式投資の経験が十数年ありますが、株式投資についてもこの格言が当てはまると感じます。
よくわからないけど勝ってしまったということはわりとあります…「これは本当に運としか言いようがない」ってことは確かにありますね(保有銘柄のTOB公表による爆上げ等ですね…)。
しかし、負けは「この部分の判断が甘かった」、「もう少し忍耐が必要だった」等、これがおそらく原因だったと思い当たることが必ずあります。
しかし、その株式投資の負けを「市場が悪い」、「あの人が勧めたからだ」、「〇〇の陰謀だ」と外部の責任であると考えてしまうと、そこで検証を終えて「同じ失敗を繰り返す」、「自分のルールが洗練されない」、「感情のコントロールができない」となって、誤った判断や行動をしてしまいやすいと思います。
もちろん、例外としてリーマンショックみたいな100年に1度級の金融危機が起きてしまったら、これは自省の余地はあまりなく、本当に「どうしようもない」です。この場合は普段は良い成績の優秀な投資家でも損失を出しますし、最悪、評価額が半値以下になることもあるぐらいの心構えを持つしかないでしょう。
そういう例外があるにしても、意思決定等のプロセスの部分は自分の責任であり、結果については自分だけの責任ではなく運にも左右されるということを受け入れる覚悟が必要かと思います。
うまくいかなかった時はプロセスの部分である「どういう基準でこの銘柄を選んだのか?」「想定と何が食い違ったのか?」「そもそも前提が間違っていたのでは?」「感情に流された判断をしていないか?」「自身に課したルールを守ったか?」等々を疑って、「次はこうしてみよう!」と改善し続ける。自分の意思決定の質を自省し、磨き続けることがおかしな判断やアクションを減らせるうえで重要かと思います。
投資ではありませんが、私は1990年代の「A社とB社のフィルム覇権争い」が象徴的で教訓を与えてくれる事件だったと考えています。私の中ではA社は緑色、B社は黄色というイメージだったので、勝手に緑対黄の対決と認識していました…。
1995年B社はA社がA社の国の市場で不当な障壁(流通支配)を作っているとして、B社の国の政府機関に提訴しました。しかし、1997年の世界貿易機関による裁定はB社側の全面敗訴となりましたが、B社の経営陣は以下の「戦略的失敗」を直視しませんでした。
- B社は主力製品の高収益に過度に依存しており、「70セント稼げる製品を5セントしか稼げないデジタルに置き換える必要はない」という論理で変革を拒んだ。
- 世界初のデジカメを開発したのはB社だったが、イノベーションとして扱えず、現実を見ることができなかった。
- A社はデジタル化の危機を正面から受け止めたのに対し、B社は「市場が悪い」「A社の国が閉鎖的だ」と外部要因に焦点を当て続けた。
結果的にB社は2012年に事実上の経営破綻となりました(その後、企業規模を大幅に縮小して再出発し、2013年に再上場しましたが、2025年に経営危機を表明するに至っています)。
自身の変革には痛みや苦しみが伴うため、しばしば「自分は悪くない」という物語を作り出すことで現状維持や変革の拒否を正当化します。B社のケースはまさにこれで、外部への攻撃(A社批判)と内部変革の回避という構造が明確に見られると私は思います。
対してA社は「現在の主力製品は消滅する」という非情な現実を受けとめ、自社のコア技術を棚卸し、外部を責めるのではなく、他分野へと大胆に舵を切った(自省し内部変革を起こした)ことで生き残りました。
意思決定の差が、結果を驚くほど明確に、対照的にした事例だと個人的に思います。
そして、この一件は株式投資にも当てはまる戒めであると私は強く感じます。
