夢を語るだけでは夢のままではあるが…友人との会話で感じたもどかしさと…
友人との会話で少し歯がゆい気持ちになったので、そのことについて書きたいと思います。
その友人は私と食事の好みが合うため、特に若い頃はよく一緒に外食をしていました。友人の職業は飲食業界とは全くの無関係ですが、過去に「将来的に料理店を開業したい!」と話しており、久しぶりに会った時にも同じことを言っていました。
そこで、私は具体的にその将来の夢に向けてどのような計画を立てているのか聞いてみました。
友人「自宅で素材からこだわって料理を作っているぐらい。家族には好評だよ。」
私「どんなジャンルの料理にするとか、他店にない強みとか、資金調達の目途とか…そういうのは?」
友人「そこまでは考えていない。そうなればいいなと思っているだけ。」
私「そうなんだ…。」
『…それでは、夢は文字通り夢のまま終わってしまうよ。行動を伴わない夢が叶うことはまずない…実体験としてそう感じるよ。』
………これはさすがに言えなかったです。
だけど、私にとっての夢は計画×行動×継続×運=実現するかも?という感じだったので、計画×行動×継続の部分がなければそもそも叶うはずがないと思っています。
少なくとも私にとってのFIREの夢に関しては「いつかこうなればいいなぁ…。」という受動的な憧れではなく、実現すべき能動的な課題でした。
この一件で思い出したのが、以前、通っていたイタリア料理店のシェフが、「いずれ私も自分の店を持ちたい!」とおっしゃっていましたが、独立開業した様子はないんですよね…シェフ自体を辞めている可能性もありますが、そうでなかったとしてもコロナとかいろいろあったのでやはり飲食店の経営はかなり難しいのでしょうね…毎日、毎日厨房で切磋琢磨している人ですらそのような状況なのに、素人より少し上手ぐらいのレベルの友人が成功するのは極めて困難なのではないか…と感じました。
しかし、友人の夢は友人だけのもの、友人にとっての夢=行動すべき目標ではなく、夢=人生を彩る文字通りの夢なのかもしれません。
友人の願いは叶って欲しいと思う反面、今のままでは叶いようがないとも思う…。これは私の夢の捉え方が変わってしまったからなのだろうか…確かに学生の時はあまり意識せずに「〇〇になりたい!」と普通に話すことができて、自己紹介用の願望としての夢を語ることに何のためらいもありませんでした。
でも今は…明らかに実現不可能なことや実現に向けて行動していない夢を自分の夢として語ることは、私自身はできなくなっています。
これは残された人生の時間の捉え方も関係しているのかもしれませんね。
友人と私は同じぐらい人生の時間が流れ、お互いに中年男性になっていますが、二人の夢に対する捉え方は大きく異なっているように思います。
彼にとっては今を耐えるためのアクセサリーとしての夢、偶像としての夢…なのかもしれません。人によっては心の安定のためにそれはそれで必要なものである…今回のことでそのように考えさせられました。
